終活という名の断捨離

 

2月に入院していた頃、父は色々考えていた。離れて暮らす兄家族が帰ってくるというなら2階を明け渡すとか、私の部屋は玄関脇の8畳間にして、1階のリビングを寝室にするという計画を話していたが、

2階を全部空にするというのはあまりにも無謀。クローゼットにどれだけ詰め込んでいると思ってるのか。

母曰く「兄家族が帰ってきているなら婆さんが亡くなった時点で来てるから、もう無い」婆さんが亡くなったのは10年前である。

私の部屋もちょこちょこ断捨離をしているが、クローゼット付き12畳の荷物を8畳間に押し込めるなんて到底無理だし、あの部屋は昼間でもかなり暗い。

一階のリビングはリビングだから収納はない。婆さんが使ってた日当たりのよい8畳間は書斎だし、書斎には押し入れはあるけれど、ここを寝室にしたいけれど、ベッドが2つ入るか…否、無理だろう。

とりあえず父が介護認定を受けれれば、訪問看護を受けたいので、やっぱり書斎を寝室に変えたいと、先日母が父に話したら、

「色々変えなくてもいい、寝室は2階でいい!」

いやいやいや😂 父よ、お主がリビングを寝室に変えるって言ったんだぞ。忘れたのか。

病院で語る内容はその場限りの戯言だというのか。色々考えて母に進言するけれども、当の本人は忘れてしまうというのか。

私達は父のメッセージを受けると色々考えてしまい、眠れなくなったりしているというのに。

二転三転するので最近は深く考えないようにすることにしている。ただ、母から「あんたは能天気だよね」と言われ、ちょっと傷ついた。

私だって眠れない日もある!更年期障害で夜に身体がほてると眠れなくなって、つい色々考え事をしてしまうと余計に眠れなくなるんだと言ったら、「夜は眠るためにあるから考えるな」と言われたけれど、眠れない夜はついつい考え事をしてしまうのだ。

昨夜もなかなか寝付けず、夢を見ては起きて、風の音を聞いていた。

今日はお見舞いをお休みして、ニス塗り2回目。今日で終わらせたい。

春になったら断捨離していくのは変わらない。父が退院できる目処はまだたっていないが、退院してきたときには書斎が寝室になっていることだろう。

父は父が思うより体力はない。2回目の入院からもう23日、歩いていないからだ。細菌による感染症からすでに18日経っていて、高熱を出す気配もないのにまだ「自分は隔離されているから病室を出れないんだ」と話していたり、隣の患者が自分達の会話を聞いているとか妄想癖が出てきている。このまま弱っていくのを見るだけなのが辛くて、助言をしても頑固だから一蹴され、私達にはもう術がないのである。

ただ4月からリビングの断捨離は始まる。リビングを片付け、書斎にするのだ。

木曜日に畑に行ったとき、もう今年は何も植えないんだなぁと改めて思った。種や苗を植えなければ、何も成長しないし、実りもない。

ただ木のタイプは勝手に成長して実をつける。父はもう農業をできないが、実の収穫はできるだろうと母と話している。

一昨年植えたルバーブが今年食べ頃を迎える。旬は5月〜7月だそうだ。木曜日に行ったら芽が出ていた。楽しみである。

庭の木々も少しずつ断捨離するつもりであるが、まだ父が健在なので私は手を出せない。とりあえず4月になったら雪囲いを外したりしなければならない。

突然すべてがストップしてしまうわけではないが、変わりゆく季節とともに自分達が動かなければならないということが、ちょっとずつ鮮明になってきたばかり。戸惑うこともあるだろうが、一歩ずつ着実に断捨離をしていくつもりである。

 

ここで友人の話をする。友人は叔母が施設に入居になる際、引っ越しを手伝ったそうだ。施設にはあまり私物を持ち込めない、叔母を説得しながら断捨離をしたそうだが、大変だったという。叔母が施設に入って安着したあと、父親が亡くなった。お父さんの荷物を片付けるの大変だ、と逝っていた矢先、次はお母様が亡くなってしまう。どこまで片付けていたかはわからないが、思い出が多すぎて片付かないと言っていたことを思い出す。

彼女もまた部屋がジャングル並みに散らかっているらしく、自分の部屋も片付かないと漏らしていた。今は片付いただろうか。