疲れるパン屋の夢見

 

昔、勤めていたパン屋に復帰しています。午前中はパン製造をして、お昼休みを取り、何故か帰宅。あ、間違って帰ってきてしまった。店に戻らなければと思いながら、久しぶりに働いたから疲れてしまった、もう辞めたい。と考えてしまったが、今日まだ1日目だから、何とか頑張らねば!と店に戻ったら、レジをやってと頼まれるも、全部バーコード式だし、パンの名前や種類もわからなくて右往左往してたら、バイトの人が帰ってきて手伝ってくれた。気がつくと長蛇の列ができていたが、とにかくやるしかない。途中でレジに登録されていた値段が違い、またまたバタバタしだす。

お客様がはけたので店内を整頓しながら、パンの種類を見ようとしていると、2人のおばさんがやってきて、ドライブスルーにあるようなマイクに向かって、何かを話し出そうとしているが、マイクはスイッチが入っていないみたいだった。見かねて手伝いに行くも、注文書を貰ったバイトの人が厨房に司令を出した。中から調理人が出てきて、見える厨房で調理しだすも、全員が私服に白いエプロン姿、髪の毛も結んでおらず、もちろん帽子もかぶっていない。手袋を忘れた人が素手オイスターを触ったぁー!と騒ぐのを見た瞬間「ダメだこりゃ」と思った。

思わず「調理する人は清潔感がないとダメじゃない?」と呟いてしまった。私の声が聞こえたのか調理人の1人が私を見た。その瞬間、夢から覚めた。

どっと疲れるパン屋の夢見でした。昔の上司だった人、バイトのHちゃんとパートのYさんが登場。Yさんは帰宅したときにすれ違う役でした。当時は一緒に働いたことはなかったのですが、家が近所ということもあり、顔見知りでした。

バイトのHちゃんはすでに結婚して、県外で生活しています。懐かしいと思いつつ、斬新なパン屋に生まれ変わっていたのが印象的でした。まぁ惣菜も売るパン屋はあるけどね。ファストフード的な感じになっているとは思いもしなかったです。

私がいた当時はレジは手打ちだったし、もちろんレジも旧式だったけれど、夢の中のレジはすべてがバーコードタイプ。レジもお金を入れるとおつりが自動で出てくるタイプでした。

夢の中では午後からいきなりレジという感じでしたが、私が入社したときは販売しているパンの種類と値段を覚えるために1ヶ月くらいはレジの仕事だけをやった思い出が。

何でパン屋の夢を見たのかな?とそういえば元アイドルの方が子供が触ったパンを全部買い取ったニュースを見ました。たぶん昔を思い出したのでしょう。

私が働いていた30年前ももちろん子供が触ってしまうのはよくありました。謝罪して買い取ってくれる方はごくわずか。ほとんどが子供を軽くしかって、ほら行くよ!と手を引っ張り、そのまま去ってしまう親ばかり。触られたパンは破棄するしかなく、当時は袋詰めにする形式ではなかったので、1個や2個なら仕方がないと思っていましたが、コロナ禍になりパン屋のパンをトングで選んで買うスタイルはなくなり、全てが袋詰めされ、手でつかむスタイルに。たぶん、それにも原因があるのかもしれませんね。

手で掴むのを子供が見ていたら、自分もやりたいと掴んでしまう。あのトング時代も「私がやる!」と子供が騒いでいましたし。

まぁパン屋に限らず、お肉やお魚コーナーもパック詰めの商品が並んでますけど、指でラップの上からグリグリ触る人もいるし、最近はラップが強化され指で穴が空かなくなったのはいいけれど、食材を使うときに手で簡単に開けられない事案が発生。衛生的な面を取れば、しっかりしたラップ、パンも袋詰めが最適なんですけれどね。

ちなみにパン屋の平台は子供がちょうど触れる高さになっています。触れるということは、もちろんくしゃみや咳をすれば…今や袋詰めになっていますが、当時はまさにむき出しの焼き立てパンの上で会話等がされていたわけで。かなり不衛生でした🤢

あのスタイルにはもう戻らないと思いますが、よくよく考えてみたらNGだったというのがコロナ禍を経て、やっとで浸透したのかもしれません。

ちなみに当時あったパン屋は私が辞めたあと、冷凍パンを使う形になり、食パンやフランスパンは店内で捏ねていたけれど、ミックス粉を使用していたらしい。まぁパン職人がおらず、職人といえば菓子製造の方が大多数だった。パン製造とお菓子製造はまったく違うのでしかたがない。

パン屋が場所を変え、店奥に引っ越ししたあと何年間かはそこで作っていたらしいが、青森市に24時間稼働のパン工場ができたら、御役御免とばかりに働いていたパートさんはチリヂリになったという。焼き立て!と謳って実は焼き立てではない、もうパン屋さんはない。今や焼き立てパンを販売しているのはユ○バースだけである。