春の行脚

 

午前中の予定では、午後からお見舞いに行って、帰り道にマエダに寄るつもりだったけど、

病院から出たら、気持ちが軽くなって、サンワドーまで行脚してしまった。公済会の坂道を降りたとき、左ふくらはぎがつりかけ、ここで挫折するのかと思ったが歩いてみたら風が心地よくてサンワドーまで行ってしまった。

油性ペンキの薄め液と金ブラシを買って、ついでに業務用スーパーに寄ってみたが、帰り道も徒歩なので、軽いスナックくらいしか買えない。

サンワドーからマエダまでは徒歩20分だった。歩きすぎて腰が痛い。

ダイソーと食品コーナーで買い物をして帰宅。13時に出発して、帰宅は16時。それにしてもよく歩いた。

 

明日は南側ウォーキングする予定だったのをやめて、畑に行くことにした。これならば土曜日は午前中に工作ができる。

日曜日は門扉を塗ることにしよう。金ブラシと塗装はがしの金具も買ってきたから、良い仕事ができそうである。

それにしても疲れた。当たり前である。しかし今朝、憧れのヒトの夢を見たので頑張れたのかもしれない。ありがとう憧れのヒトよ。またよろしくお願いします😇

ペーパークラフト

 

3月下旬に準備していたペーパークラフトをやっとで切り抜いたのが先日の火曜日。本当にやっとで細かい作業ができるようになったが、火曜日は切り抜いたあとに門扉のペンキ塗りをしてしまい、組み立てまでできなかった。

昨日の午前中、やっとで組み立てを開始。朝8時から始めて、12時までかかったが、4体のマスクを組み立て終わった。午後からはお見舞いに出かけたが、帰宅後作りたいイメージのマスクを確認したら、本体は骸骨仕様で、今回作ったマスクでは作れないことが判明する。

1ヶ月前から着手しておきながら、確認を怠ったミスだ。まぁお化け屋敷で使えるからいいけれども。

そこで今日は骸骨仕様のマスクを探しだし印刷。その他、一目惚れしたペーパークラフトも印刷してみる。

ついでにパソコンの中の企画書も書き直したりしていた。

午後からはまたお見舞いに行く予定なので、工作は帰宅後だ。

明日はホームセンターに行って、油性ペンキの薄め液を買ってくる予定だ。久しぶりの南側ウォーキングだ。歩道がないから気を付けて歩かねばならぬ。

週末、今度は裏庭の門扉のペンキ塗りをする。やっとで家の中の大掃除が終わったと思ったら…次は外回りと、なかなか忙しい。

母から畑にも行ってほしいと言われたが、時間が作れそうなのは土曜日しかない。行けたら行く。それしかない。

寝付けなくなる後遺症

 

昨日の早朝、入院している父からの電話テロ攻撃にあい、その後も何度か母のスマホにはせん妄している父からの電話があったようです。

昔、携帯電話がなかった時代は入院中に電話を掛けるといったら、公衆電話しかなかったけれど、今や誰でも携帯電話を持っている時代になり、一応病棟では朝6時〜夜8時までしか使えない規則になっているけれど、せん妄起こした人は時間も忘れて規則も破るし、同じ病室の人に迷惑かけていなければいいなぁ…😂

昨夜はせん妄に備えて、着信音を変えたりしたけれど、やっぱり眠れなくなってしまう。無理に眠ろうとしたら胃痛になってしまう。

それでもなんとか眠れたのに、眠りが浅くて何度も起きるし、朝方ちょうど昨日と同じような時間に目が覚めてしまう。

昔、祖母が亡くなる前にもこんなことがあった。祖母は認知症だったがある夜、24時半頃、たまたま眠るのが遅くなった日があった。両親はとっくに寝ているはずが、階下から物音がする。気になって見にいくと、玄関に祖母がいた。三和土に寝転がって玄関を開けようとしていたのだ。季節は秋だったが夜は寒い。

部屋に戻ろうと促すも言う事を聞かない。祖母はずっと「うちに帰らせてください」と叫んでいたが、ここがうちである。騒ぎを聞きつけて両親が起きてきた。母が祖母をなだめ部屋に連れていき、寝かしつけたのだが、私達も部屋に戻り1時間後、また部屋から出てきてしまったのだ。今度も部屋に連れ戻し、寝かしつけたのだが、私は朝まで眠れなくなってしまった。

次の日の夜は部屋の扉に簡易の鍵をつけたが、やはり部屋で騒いでいる声が聞こえてきて眠れない。

実は玄関から出奔しようと試みる前、部屋のガラス戸から逃げ出したことがある。その時は昼で、庭の木の下にうずくまっているのを発見できたが、歩けないはずの祖母がどうやってここまで来たかが考えると、ちょっと怖かった。せん妄は力強く人間を動かすのか。

自分で部屋を抜け出して木の下にうずくまっていたのに正気に戻ったとき、「誰が自分をここに連れてきたんだ!」と怒り出し、自分の中の自分だよと思ったのは言うまでもない。

ちなみに夜に徘徊しようとするので、睡眠薬を処方してもらったら、効き目がすごすぎて昼も夜もトロトロと眠るようになり、睡眠薬をやめたのに、ほとんど寝たきりになってしまったのが12月くらいだった。

ばあさまのときも、せん妄に悩まされたっけ。なんか思い出してしまった。

そういえば今日、見た夢で唯一覚えてるのが、何かのパーティーに見知らぬ女性2人と一緒に行くんだけど、婚活パーティーだったみたいで、一緒に行った女性の1人はすぐ選ばれてカップルになったんだけど、

自分ともう一人の女性は最後まで誰にも選ばれなくって「もう帰ろっか」って話してる。

会場を見渡したら、男性陣の中に憧れの人を発見してしまう。彼は誰か選んだんだろうか、とモヤモヤしてたら、

女性「ここで選ばれなくたって、別に悔しくなくない?選ばれたからって人生の勝ち組じゃないじゃん」

あぁそうだよね。勝ち組って言葉が流行ったとき、同時に負け組も流行り、私は負け組だと言われたことがあったが、勝ち組も負け組も自分がそう思ったら、そこで終わるのではないかと。

結婚したら勝ちなのか、彼氏がいることは勝ちなのか、幸せの価値観は自分が決めることであり、誰かに幸せにして貰うものではない。

そもそも好きであっても他人だから一緒に暮らしていくのって、相手の考え方も尊重していかないと破綻するよね。これ未婚だけど、同棲の経験あるから少しはわかる。結婚はそれに子育とか色々からんでくるから、面倒くさいだけの話なだけで。他にも恋愛結婚したのに2年で離婚とか、いろんな話を聞いてるからこその、結婚願望なしなのである。

あの…何年も付き合って結婚したのち、何ヶ月かで「性格の不一致」で離婚っていうのは、どの理由があるんだろ。結婚後、何があったんだって、すんごく聞きたいんだよなぁ🤭

ただ私の周りにはそういう理由で離婚した人がいないので、なかなか聞けないんだけれどね。なんか色々考えさせられる夢見でした。

 

 

せん妄

 

長く入院していると高齢者に起こる症状、それが「せん妄(せんもう)」である。

https://medical.jiji.com/topics/1464

しかし今年の1月〜2月にかけて約40日ほど入院していたときは、せん妄は起きなかった。

初めてせん妄が起きたのは3月に緊急入院してから6日後の夕方。病院に1人でいる意味がわからないと電話してきたのだ。

このときは10分ほど母が語りかけ、発熱で入院して6日だと理解したのだが…実はそれからもせん妄は起きていたのだ。

同じ病室の人が自分の話を聞いているとか、看護師さんが他の患者に話しかけているのを自分に言っていると思いこんだり、感染症で病室に隔離されてると言ったり、

実際のところ、父の言う感染症は父のお腹だけの症状なので、他の人には感染しないのだが、母が体調不良で発熱したときは、ものすごい思い込みで騒ぎまくり、内科を受診しろとか、看護師や医師に相談しろとか、四六時中電話をかけてきては騒いだ時期があった。あれこそがせん妄なのだが、お父さん心配症だね、で終わってしまったのだ。

しかし、看護師も医師も部屋に隔離はしておらず。そういった発言もしていないという。他人に移る感染症ならば、感染症病棟に移される、または個室に移動になったりするはずだ。

先週、病室を変わったがまだ隔離されていると言っているらしい。母が説得しても、看護師や医師が言っても理解できないのである。

先程、18時にまた父から電話があったそうだ。父が言う事にゃ、「新しい事務所ができて、そっちに移ることになった。」という。

母が病室を移るのか聞いたらば、「病室の話はしていない」

今は入院中だから、事務所に引っ越しもお父さんは関係ないでしょ、と母が言うと

「医師から説明があるから」

あぁ医師からなら、さっき電話があって話たばかりだよ。というと、

「自分は説明を受けていない」という。お腹の炎症が治まったら、来週にまたチューブ入れるって。と母が説明すると、また新しい事務所の話が始まってしまったという。

新しい事務所の話は、最近まで家の中の引っ越しをしていたからかもしれない。

介護認定されたら、1階の元書斎が寝室に。居間が書斎になるのだ。

だが、夢で見たことが現実だと思い込むのは、ちょっと怖い話である。要するに自分が作り上げた妄想の世界で生きているわけである。

感染症で隔離されているという主張も、自分がなかなか退院できない精神的苦痛の現れだと思うと心が痛いが、体調が悪く、ほとんど寝たきりで過ごし、体力がなくなっているのを思い過ごしだ。私はリハビリなど必要ないと言ったり、介護サービスも必要ないと言っちゃうあたり、母や私の苦労や疲労はまったく気にしてないんだなと思ってしまった。

父の場合、胆汁チューブを外に出したままの退院になる。訪問看護が必要になりますよと言ってくれたのは看護師や医師だったのだが、何でも自分で出来る!と頑固一徹

でも実はチューブがつまったり、外れたりするとお腹の中で感染症が起こり発熱してしまう。入院しているから色々な処置がすぐできるが、在宅となるとどうなるかはわからない。体調が悪くなったら訪問看護にお願いできるわけだが、父は介護サービスは受けたくないと一点張りだ。

だが今日のせん妄は、かなり尾を引いている。夜は睡眠薬を飲むので、真夜中に眠れないこともないし、暴れることもないが、早朝起き抜けに電話をされると、もう対応に困るのである。

今は抗生剤が効いて、発熱していないと言うが、絶食ゆえに時間がわからなくなり、さらにせん妄が増え続けるような気がしてならない。

実はさっきも母にまた電話がかかってきた。電話をかけたでしょ、と父が繰り返し言うがかけてはいない。着信履歴があったと言い張る。母が今日は朝にかけたけど、今はかけていないよといったが納得したかどうか。

明日、お見舞いに行ったら着信履歴を消してこよう。

医師は「長く入院していると、せん妄は起きることがあるんです。でも大丈夫ですよ?」と母に説明したらしいが、何が大丈夫なのだろうか。

せん妄が起きるたび、振り回されるのは家族なのだから。

襲撃に備えて

 

入院している父からの早朝電話テロ攻撃の影響で眠れなくなり、体調不良に陥ったが、なんとか門の塗装までし終えたのは暖かかったからに他ならない。

本当はサビ落としだけやって、そのうちペンキを塗るつもりだったのだが、夕方から雨降り予報が出て、それならばペンキを塗ってしまったほうがいいと思ったのだ。

幸い、何年か前に買っていた黒色のペンキがまだあった。ただ使用済みだったので濃度が濃い。薄め液もあったが、こっちはかなりの年数が経っている様子。

蓋を開けてみてチェックする。薄め液を入れ混ぜ、たまたま買ってあった油性ペンキ兼用のハケで塗り始めた。楽しい😇

いつもポスターを描くときは水性ペンキを使用しているが、油性なだけでペンキはペンキだ。

右側の両面を塗って乾かしている間に、左側のサビ落としをする。サビの上からでも塗れるペンキだが、使い方には「サビがあったら落してから使用してください」とあり、できるだけサビを落としたつもりだが、本業ではないしズブの素人。テキトーである。

それでも大概のサビを落とし、ペンキで塗る。なんとか形にはなるものだ。最後には薄め液もなくなり、濃度が濃ゆい状態になったが、なんとか塗り終えた。

昼食後には番地のシールが剥がれていたので、アクリル塗料で書いてみる。さらに車庫のシャッター部分もちょっとリメイク。

全部終わったー!と思ったら、裏庭の門もサビが酷いらしい。とりあえず薄め液を買ってこなければならない。来週の通院時についでにサンワドーに行こうかな〜😇

今日は午前中ずっと屋外で作業していたのでかなり疲れたので、早々と就寝しそう。

でもまた、父にせん妄が起きたら早朝電話テロ攻撃にあってしまいそうなので、着信拒否はできないし、着信音をオフにすると非常事態に困るし…😂

朝から優雅な気分になるような着信音に替えましたがどうなることでしょう。

ちなみに母はマナーモードのままだったので音は鳴らず、バイブにも動じず、全然気がついていませんでした。

私は眠りが浅いのでちょっとした音で目が覚めてしまいます。それでなくても更年期障害で体調不良なのにぃ🤧

ストレスをためないように生活していきたいものですね。

 

早朝電話テロ攻撃

 

出し抜けにスマホが鳴り出したとき、まだ私は夢の中だった。カーテンの隙間はまだ薄暗く、早朝だとわかったがこれは一大事だ!と思わなかったのは、病院からの電話は家電か母の携帯だからである。

電話が鳴り止むのを確認したのち、着信を見ると、やはり父。そのまま電源を落とした。朝の5時27分

いやいやいや、病棟から電話を掛けれるのは朝6時〜夜8時と決まっている。電話には出れないし、掛け直してもダメな時間である。

さきほど母に会った際に電話があったことを伝えると、母は自分のスマホをチェックもしておらず、電話があったことさえ知らなかった。

すぐさま父に電話をかけると…やはりせん妄が起きていたことが判明。

夜は睡眠薬を飲んで眠るため、非常にリアルな夢を見るらしいのだが、目が覚めて、それが現実だと思ったままに電話をかけてくるのだ。

3月に緊急入院してお6日後、お見舞いしたら高熱にうなされていたため早々に帰ってきたら、16時すぎに私のスマホに電話がきたのだが、これが。父からの電話だったが

「なんで病院にいるの?なんで自分だけなの?○(私)はどこにいるの?」と病院にいる理由さえわからなくなっていて、なだめながら母に電話を代わってもらい、10分くらい話していたら、現実に引き戻せたことがあったけど。

それからもたびたび、早朝に電話が来て、夢を見た、気になって電話したと言っていたらしいが、その時の夢は「パソコンの電源が入ったままでいると、インターネットでウイルスが入ってきて大変なことになるから、今すぐ電源を落とせ!」と慌てた様子で言われたらしいが…早朝だぜ?パソコンの電源は毎回落としてるし、ウイルスバスターも入ってるから、大丈夫だよ?となだめたらしい。

ちなみに父はパソコンをつけたまま出かけてしまうタイプで、そういうのが夢に出てきただけだと思うけれどね。

ちなみに今日の夢は「山にいる」夢のようで、母が連絡したときもせん妄中で「今、山にいる。病院の山にいる」と意味不明なことを言い出したらしいから、ちょっと怖い。

ただ、せん妄中でも、家族のスマホに電話を掛けれるから、まだ大丈夫だというけれど、早朝でもこう簡単に電話を掛けられるシステム、ちょっとやめてほしいわ。心臓に悪いし、体調不良を引き起こした。

今日はペーパークラフトを作ったり、門のサビ落としをしたりする予定だったのに、朝から身体がだるい。

今宵から黄砂が降り、18日まで続くという。今日中に門のサビ落としをしておいて、週末の晴れの日にペンキ塗りをしたい、そんな予定である。上手くいくかどうかは体調次第である。

疲れ切ってしまった

 

今日、午後から病棟でケアマネさんと病院の係員さんと面談があり、終わったのが2時間後で、すでにグッタリしてしまう。

さらに帰りに買い物をして、帰宅したら、16時30分すぎだったし、そのまま夕食準備をして、ご飯が食べ終わったのは17時30分。

自室に戻り、ちょっとネットサーフィンしてたら寝落ちしてしまい、目が覚めたとき一瞬どこにいるかわからなくなり、掛け時計を見たら12時30分、あれ?今、昼だっけ?よく見たら18時00分だったのわかったときは…🤦そんなに疲れてたのね…😂

 

4日に面談したときは元気で、退院目指してリハビリしましょうとなったけれど、まさかの10日後、また胆汁チューブが詰まったのか外れたのかで発熱が起こり、また抗生剤と点滴が始まってしまいました。

お腹の中の感染症なので絶食ですが、熱も下がり、食欲がある何か食べたいと主治医に訴える父ですが、明日の検査と明後日の処置までは絶食になると医師。

しかし、医師がいなくなったあと「検査終わったらバナナを食べる!」とワガママを言い出したので、病室においておいたバナナや牛乳など全部持ち帰ってきました。

水の他、ポカリスエット等の経口補水液は良いと医師から聞いたので、早速売店で買ってきたら…

ヤクルトサイズの小さい飲料水が欲しいとまたワガママを言い出し…そんなスポドリ見たことないけど、母が帰りに探してみるから!となだめていましたが、やっぱりスーパーでも見つからず…パッケージタイプのアクエ○アスを発見し買ってみましたが、父が納得するかどうかはわかりません🤦

今回の発熱で4月中の退院はなくなりました。ケアマネを見つけて、部屋の掃除や書斎の移動をしたのにねと母が残念がっていましたが、体調不良になるのは誰も予想できるわけではないし、退院が早まるんじゃないの?予想をしただけの話。

実際は…どうやら母の見立てだとリハビリはあまり順調ではないと思っていたら、医師の話では

「リハビリの先生から聞いたけれど、病棟は歩いていいよと言っていたから(歩いてリハビリしているんでしょう)」とちょっと話が食い違っている様子。

ちなみに父は病室から出て廊下をちょっと歩いたら、もう終わりで歩くだけでかなり疲れて、具合が悪くなったらしい。それが先週の木曜日か金曜日で、

土曜日に行った際は疲れて寝落ちしてて、寒いとか今日は雨降りだろとか、今思うと感染症の気配が出ていた感じで。

日曜日に母がお見舞いに行ったら、午前中に発熱して、当直の医師が抗生剤投与をしてくれたので熱が下がったあとだったらしい。

ちょっとリハビリ頑張ったら、発熱しちゃって、絶食してるからまた体力落ちちゃうよね。一進一退といいますか、なんかこうしょうがないけど、気落ちしちゃうよね。

父が退院できるまで支えていくけれど、ちょっとワガママすぎて、たまにイライラする。頭痛もそのせいかなぁ😂

あんまりストレスためないようにしなきゃ。