徒然日記〜夢はかく語りき〜

夢日記だったり、最近あった話など。

祭りの日の攻防戦

 

今日、母が午後から父の面会に行ってきた。自宅療養中に食欲不振でご飯を拒否したが、フルーツだけは固形なのによく食べていたので、缶詰の黄桃を持って行ったら喜んだらしい。自宅療養中はかなりワガママだったのだが、やはり病院ではすぐ対応してくれるため体調も良くなったらしい。やっぱりこれって、薬の副作用もあるけれど、父が入院したいばっかりに鬱病的な状態になってたのも影響があったのではないかと、母も同じこと言ってた。

で、お祭りの最終日、いつも親戚が来るのでテーブルと椅子を出して、おもてなししてたけど、今年は椅子だけ出そうと思ってると母が父に話したら…

「自分が入院しているのに、家の前に親族がいたら、絶対色々聞かれるだろうし、あいつら(叔母夫妻)のことだ、色々ベラベラ喋るに決まってるから、椅子を出すとか、家に来るのをやめてほしい」だとさ🙄

嫌われてるねぇ叔母夫妻🤭 まぁ病人からしたら、家族でもない人が嘘を撒き散らすのはたまったもんじゃないよね。

それに椅子を出さなくても、叔母夫妻は勝手に車庫を開けて椅子を取り出しそうだから、嫌だなぁって。マジやりそうだもん。

で思い出したけれど、うちは本家なのでお祭り時期には親戚が集まるのが当たり前だったわけだ。

昔、私が高校生の頃、自室として使っていたのが客間だったので、祭り時期には親戚が泊まるために貸さなくてはならなかった。部屋を貸すのは嫌だっだが、仕方がない。部屋には土間があり、道路に面していた。そこに椅子を並べて、祭りを見るのが習わしで。

ある日、土間を使うというので部屋との間仕切りの扉は絶対に開けないでと約束したのだが、やっぱり話をちゃんと聞いていないよね。なんで自室を祭り関係者に披露しなきゃいけないのさ😂 あれはショックだった。そのせいで未だに夢を見るのさ😑

Tのおばちゃんが亡くなる前の年だから、3年前だったけど、やっぱり土間での攻防戦の夢を見た。並んで椅子に座ってたのが、4年前に亡くなった伯父で、その隣に伯母、その隣がTのおばちゃん、うちの祖母だった。

「部屋の扉は開けないでってお願いしたじゃない!」と言ったら、伯父が振り返って「おめの部屋だっきゃ、誰も見でねーじゃよ!」って言ったけど、そういうんじゃなくて、約束したべな!っていうね、下北弁丸出しだけど。

目が覚めたとき、あれ?Tのおばちゃんはまだ亡くなっていないのに、あそこにいたのは全員死者だったよなぁと思った半年後に、おばちゃんは身罷った。もしかしたら夢の中で会っていたのかもしれないな🙄

あの土間はもう28年前に解体されてなくなっているのに、まだトラウマから解放されないのだろうかね、私の深層心理は🙄

あの頃から親族が集まると、嫌な思いしかしてこなかったので言わば、心の奥底の傷がまだ癒えてもいないのかも。

コロナ禍前にやっとで親戚が祭り時期に来なくなって安心したら、今度は叔母夫妻がしゃしゃり出てきたわけだ。どうするよ。

そして父の見舞いと称して、埼玉叔父が来たのが7月。またお祭り時期に来たいなとか言い出しやがって、空気を読まないのは叔母夫妻だけにしてよ状態。

お祭り時期にまたお世話になりますーって、叔母夫妻には連絡したみたいだけど、本家に泊まるつもりらしいのに連絡ないってどういうこと?

でも父が体調不良だったので宿泊を断って正解。入院したとしても、こっちには拒否できる理由がある。

今もなお、攻防戦が行われているのである。戦いに勝利したいが、叔母夫妻と叔父夫妻は空気を読んでくれるだろうか。