徒然日記〜夢はかく語りき〜

夢日記だったり、最近あった話など。

主治医の夢見

 

久しぶりに夢に父の主治医が出てきました。4月から父の主治医になった医師は、たびたび夢に登場していましたが、8月の入院後は面談でお会いしたのを最後に、病棟でコロナが出て、面会制限になり、最後に会えたのが危篤になった日で。

主治医は父を看取ってくださって、まぁ当たり前ですけど、本当にありがとうございました。

夢の中で、病院で働いていたら階段?で主治医とすれ違います。私は鍵を落としたようで、主治医に拾ってもらいます。その鍵は農園の扉の鍵でした。「かわいいキーホルダーですね」主治医が言ったのを覚えています。短い夢でした。鍵を拾ってくれてありがとう😊

思えば長いような短い年月でした。3年前の11月に個人院にかかったら、癌の疑いありとなって。12月に市立病院で精密検査をしたら胆嚢がんが見つかって、まだステージ1だからと手術が翌年1月になったんだけど、手術前の検査で肝臓にも湿潤していることが判明して、肝臓の1/3も摘出したけど、外科の主治医が胆嚢を切除したとき切り口にがん細胞を残してしまいました。

抗がん剤治療をしたかったんだけど、相変わらず胃の調子が悪くて、内科の主治医から、当分は抗がん剤治療をしないほうがいいと言われて。術後3か月くらいは食欲不振等が続いて、内科で定期検査していました。

その後、1年半は通常通りに生活できるようになってホッとしたのもつかの間、昨年の12月下旬から体調不良に陥り、だましだましで来ましたが小正月に黄疸が出てしまいます。

当初は外科医院で貰った薬が強かったから黄疸が出たんだ、と母が意味不明な説明をして、薬を辞めたから2〜3日で良くなるから、あまり騒ぐなと言いましたが、黄疸は素人判断するのはよくないと、元看護師の友人に相談させます。

すると友人は今すぐ病院に行けと。当たり前です。通院して2日後に入院することが決まりました。検査してみたら、胆嚢がんを摘出した際に残ったがん細胞が増殖していて、胆管を圧迫。そのせいで胆汁が流れなくなっていたとのこと。内視鏡的手術をしますが、胆管は5ミリと細く、上手く処置が出来ず、難易度がかなり高かったようです。当初は2週間くらいの入院の予定でしたが、最終的に5週間になり、退院できたのは2月下旬。やはり高齢者というのもあって、なかなか退院を許して貰えませんでした。

しかし3月の予約診察の2日後の朝、高熱が出てしまいます。午後からCTの予約が入っていましたが午前中に内科へ。しかし父本人が話せたことや歩いたりできた影響でトリアージされ、後回しにされてしまいます。「発熱している方」のブースで待っていたら、突然父がガタガタ震えだし、意識消失。母は慌てて看護師を呼び、別の医師に診てもらって、早々と抗生物質を点滴投与となり、そのまま再入院することになりました。

これは後々まで語られることになったトリアージされて置き去りにされ事案でした。やはり病人とはいえ、高熱(40度)を出しているときは受け答え等をしてはいけないということです。

この日はかなり大騒動になり、点滴中も病院を抜け出せず、CT検査→主治医との面談があり、やっとで家に戻ってきたのが18時。そこから入院グッズをかき集め、また病院に戻って…と全て終わったのが19時過ぎでした。

翌日、父を見舞うと主治医から「熱が下がっても予断を許さない状況です」と言われます。どうやら胆汁が体内に漏れ出し、お腹で感染症が起きたようでした。CT検査を受けたのは、実は抗がん剤治療のためにポートを埋め込む手術のためだったのです。

翌週、無事にポートを埋め込みましたが、この頃からせん妄症状が現れ始めます。それというのも衛生状態が悪く、病室から出ないでというお達しがあり、病室に簡易トイレが準備されましたが、部屋(カーテンで仕切られているだけの空間)に押し込められた父の精神が破壊されたのでしょうね。

この頃、主治医だったE医師は転任していってしまいます。4月に着任したのが現在の主治医でした。若い医師でしたが頼りがいがあり、父も期待していましたが、病状はかなり進行していて、4月時点で肺と肝臓に転移していました。度重なる発熱で体力を落としていたし、入院後はずっとベッドの上だったので抗がん剤治療はできなくなりましたが、父は体力があり、退院したいという希望を叶えるべく主治医は奔走します。3月までの主治医だったE医師の治療方針をほとんど変えたんだとか。

リハビリで歩行訓練をしつつ、私達は自宅療養のために2階から1階に引っ越しをしたり、夏場に快適に過ごして貰うためにエアコンをつけたり。ケアマネや訪問看護も決まって、5月のGW後に無事に退院したかに見えましたが、また5月下旬に発熱してしまいます。夜だったので救急外来に。当番医でもないのに主治医が来てくれて、再び入院となりました。でもこれ、発熱したら再入院と言われていたので、入院グッズを用意していたら?と母に言ってたけど、「入院を待ってるようで不吉だ」と却下されていました。

その影響で再入院が決まったあとに再び大騒動。私は病棟に取り残され、母と叔母夫妻で入院グッズを取りに行きました。全て終わって帰宅したのが23時。

翌日の面会のあと、母が「昨日入院グッズを取りに行ったら、ほとんどの荷物は1階にあるのに、叔母が勝手に家探し始めたり、用もないのに2階に上がってきたときは、本当に嫌だったから、今後の入院のために入院グッズを準備しておこう」ということになりました。

6月に退院したあとは3週間ごとに定期検査をしていました。自宅療養は緩和ケア治療でもあったため、痛み止めに処方されたオキシコドンの副作用で体調不良に陥り、6月〜7月はほとんど寝たきり。

体調が良いときは庭仕事をしようとするのですが、体力はかなり落ちていましたので動けば、その後に寝たきりになってしまいました。

7月下旬の定期検査では数値は問題ないと言われ、入院したかった父は落胆します。

8月の定期検査でいきなり再入院と言われ、連絡を受けた私は入院グッズを持って病院へ。まさかそれが最後の入院となるとは。

主治医との面談で「転移したがん細胞が肝臓をほとんど埋め尽くしています、肝硬変が起きると通常ならば2〜3週間、中には1ヶ月近く生きる方もいます」と余命宣告されてしまいました。

数回あった主治医との面談で知ったのですが、実は胆嚢がんは見つかった時点で最悪なんだそうです。すい臓がんは有名ですが、胆嚢は消化液を出す身体にとって無くてはならない臓器なんだそう。胆嚢がんは抗がん剤治療をしても半年しかもたない人もいるとか。

実は父、4月〜5月に亡くなっててもおかしくなかったそうで、それが体力があって退院できるのが凄いと言われていましたが、肝臓や肺に転移していたし、転移したがん細胞は凄い速さで増殖するとのことでした。

1月に黄疸が見つかった時点で1年もたないといわれ、12月くらいなのかな?と思っていたら、4月時点で秋くらいでしょうと言われ、事実亡くなったのは9月でした。

最後の1ヶ月は大変でした。再びせん妄が起きてしまいます。今度は行動を伴って暴れたりしてしまったので拘束されてしまいましたが、実際父は力が強かったので腕を振り回したりすると、看護師に危険が生じますし、ベッドから落ちたりすると父本人も危険ということで、拘束は致し方ないことでしたが、正気に返った父が拘束に憮然としていたというので、やっぱり嫌だよなぁ😂

9月14日、主治医との面談から1ヶ月経ち面会が許されます。10日ぶりに会いに行くと安心したような顔をしましたが、次の日からほとんど応答をしなくなりました。そろそろか、いよいよかとこの1ヶ月ずっと、そういう気持ちでいました。母はまだ大丈夫だよ、お父さんは体力あるもん、まだまだ生きるよと言っていましたが、18日の9時に危篤の知らせが来ました。叔母、兄夫妻も来てくれて、最後は痛みもなく安らかに息を引き取りました。

ただ、コロナ禍で面会制限が出ていたので泊まることができなくて、看護師から「亡くなってたら早めに電話します」って言われたときは😂 まぁ仕方ないんですけどね。面会は20時までだったので、それまではいようと思っていたら、19時21分に呼吸が止まって…主治医が来たのが20時だったので、20時に看取られましたが、実際は19時でした。

さっき、起きる寸前に、庭先に冬服姿で立つ父の姿を見ました。今朝の最低気温は11度予報だったからなぁ。しっかり冬服になってたよ。父は寒がりだったから暑くてクーラーかけると、寒がって怒られたけれど、母が熱中症にならないか心配してた夏も終わった。

今年の1月〜9月があっという間に終わった気がする。たぶん10月もあっという間に終わるだろう。ずっと父が入院していたのもあって、亡くなった今も寂しさを感じない。

ただ母がまだ「お父さん帰ってくる気がしない?」と現実を受け入れられないらしい。火葬場で拾った御骨はじゃあ誰のよ?

イライラをぶつけられて、私は家にいたくないのもあり畑に行く。私は無心で土いじりをしている方が気が楽だ。父が思ったより早く亡くなったのは、母のせいではない。病気のせいだし、手術したががん細胞が残っていたせいもあるし、完治したわけじゃないのに飲めるうちに飲む!と止められていたお酒を飲んだ父のせいでもある。

誰が悪いかって言ったら、病気を作った父が一番悪い。しかし最後の1ヶ月は痩せてしまい、人相が変わってしまった。癌の痛みにも苦しんで眠れない夜もあったらしいが、最後はたぶん肝性脳症という症状が進行して亡くなったのだと思う。

主治医、ありがとうございました。主治医のおかげで4月くらいに亡くなってたはずが、5ヶ月くらい長生き?できました。

まぁ元気にというわけではなかったけれど、5月に退院したときは意欲がありすぎて、庭仕事をしたり、私が整理した書類等を作り直したりしていました。今度は遺品整理をしなければなりません。

父が旅立った今、もう主治医ではなくなりました。О医師、本当にありがとうございました。病棟でコロナが出たり大変ですが、お身体に気をつけて頑張ってくださいね😊