徒然日記〜夢はかく語りき〜

夢日記だったり、最近あった話など。

叔母のこと

 

父が亡くなってから、早18日。毎日が忙しくて、あっという間に10月になってしまいました。

あの日、父が危篤になって病院に呼び出され、病室に着いたら叔母が。必死に父の身体を起こそうとしていました。苦しそうにもがいていたのを「起きたい」と勘違いしたのですが、午後になって主治医から酸素飽和度が足りないので、酸素を濃くしますと言われてから、もがくこともなくなりました。最後は静かに息を引き取りましたが、今度は叔母が暴走することになるとは、全く予想していませんでした。

喪主は母になると思い「○ちゃんに全部任せる」と言ったのに、喪主が兄夫妻になった途端、口を出し始めたり。

父が亡くなっての翌日には書斎の父が愛用していた椅子を「これいいなぁ」と欲しそうにして見たり。(叔父)

母がいないときに、叔父が父から譲渡された自家用車を貸してあげると上から目線で兄に伝えたが、後の家族会議で「父は兄か孫に車を譲りたかったが、連絡が取れないので、仕方なくY家に譲ることになったのだ」と説明したが、叔父の横暴さには反吐が出る。まるで自分が父に気に入られているとでも思ってるのか。

やっぱり母がその場にいないと、何か兄に進言しているようである。兄が家を相続すれば、このソファだって○○くんの持ち物になるんだぜ?って、だからどうした。それでなくても兄は長男だし、実家だし、一緒に暮らせばそれが可能にはなるが、叔父には一切関係ないことだ。

ちなみに父は生前、「Y家には車をあげたから、もうあとは何にもやらなくていいな🤭」って言ってたから、形見分けとかあっても叔母夫妻は呼ばない。

まぁ父の財産って言ったら、書斎にあるファイルと、庭と畑の小屋にある園芸用品だけだしな。金目のものはもうほとんどない。

叔母はやらかしさんで、葬儀期間中も色々やらかしてくれた。初日の会食に購入してきたお寿司を段ボール箱に入れて、台所の床に放置していたが当日最高気温が27℃もあり、私と義姉が保冷バッグに入れて保存したけれど、兄も衛生観念が叔母寄りだったと判明した。

だって「スーパーで平台に寿司おいて売ってるじゃん、冷やさなくても大丈夫だよ」って言ったんだ、あの52歳のオッサンは😂 あれは平台ではなくて冷蔵台です。寿司はナマモノだろ😂

火葬場でもやらかした。父の御骨を拾っていたら、ホッチキスみたいなのは入れませんと説明を受けたばかりなのに、叔母はいきなりちょいちょいとホッチキスみたいなのを拾って、パパッとザルに入れてしまったのだ。70代にもなって人の話を聞かないばかりか、理解できないのって、なんか怖くない?

私が激昂した仕出し弁当事件も、母は「私と○○の弁当を兄夫妻(伯父)とわける」と叔母に話したそうだが、叔母は私に「お前の弁当はないよ」と2人分の弁当を伯父夫妻の前に並べてた。超絶お腹を減らしていたため、勝手に決めんなと激昂。のちに私の弁当は返却されたが、このときも納戸の床に放置されていた。またまた衛生観念がない。

三十五日法要をやることになったと母が連絡したら、叔母が愛読している「青森県の冠婚葬祭事典」なるものを持ってきたらしい。

これをわざわざ持ってきたらしいけど、実は1996年発行で、28年前の事典だからかなり古いんだよね。たぶん内容も今とやり方が違ってるはず。もう絶版になっているみたい。

そんな愛読書があるのに供物に要冷蔵とか、要冷凍のものや、賞味期限が短いのを持ってくるんだよね。先日も貰い物だと言って、要冷凍のお菓子を持ってきて「解凍に3日かかるから、このまま上げといて」と言われたらしいが、保冷剤をつけたままで上げるなんて常識なくない?

パッケージを剥がしたら、チーズケーキだった。気温は10月としては高い27℃あった日だったから、2時間くらいで冷蔵庫に入れたけどさ。マジ衛生観念がないんだよ😂 解凍に3日かかるんじゃなくて、解凍したら3日以内に食べろだったのも怖い。誰から貰ったかは知らないが、伝言ゲームはすでに失敗しているわけである。

叔母夫妻が来訪しないと平和だ。だが何かと理由をつけて来訪するから、すごく嫌だ。両親も叔母夫妻が嫌いだが、母は「利用するときだけ利用すればいい」なんて言ってるが、利用する気もないし、もう一生未来永劫会いたくもない。

三十五日法要には参加するし、一周忌だってやってくる。上手く関わらないようにしたいが私が家を出ると、叔母はもっとのさばりそうである。母が世帯主になったが、叔母にとっては実家なので、実家にあるものは自分のもの。と勘違いしているようなのである。

だが実家と言っても、すでに祖母は亡く、叔母が暮らしていた昔の家ではない。祖母が亡くなったときは形見分けをしたが、父の場合は…😑 

そういえば、参列者誰を呼ぶか問題で名前を書き出していたときのことだ。N家は4人と名前を書いていたら、叔母が「えー!何で私の名前を書いてくれないのー!」と騒ぎ出した。母が「いや、お前はY家だろ、家族じゃないし😑」と一蹴したが、やっぱり叔母はまだN家で、しかも家族の一員だと思っているようである。

そう思えば合点がいく。どうやら畑を相続できると思っていたようだ。畑は私が管理しているが、兄に家等を相続させたい狙いはそういうことに繋がるのかもしれない。

まぁ無理だけどね。叔母は兄を懐柔できると思い込んでいるが、私と母が許さない。

長い間、つい7年位前まで、母はN家の嫁扱いはされず、叔母や伯母から蔑まされて来たわけだ。7年前に伯母2人が力を失い、叔母が両親に寝返ってきたが、両親はY家が大嫌いで、時すでに遅し状態。

葬儀の間はずっと我慢してきたけれど、叔母夫妻の横暴にストレス増大よ。母は嘘しか言わない叔父の情報に振り回される傾向があったので、何回か説き伏せたおかげで今や叔母夫妻の言う事をまともに聞かなくなった。ちゃんと理解してくれて良かったよ。

「草刈りをやってくれるだけで有り難いでしょ!」って言ってた頃が懐かしい。今やその全てが過去だが、叔母夫妻に頼らなければ生きていけないわけではない。むしろ排除すれば、ストレスフリーなわけだ。

これからも戦いは続くが、私は関わらないようにしたい。