徒然日記〜夢はかく語りき〜

夢日記だったり、最近あった話など。

複雑な家系図

 

亡き伯母は何かあるたびに「本家を頼れ」と言っていたらしい。本家という言葉を聞くと事業をやっていて、おうちもバカでかくて、資産がたくさんありそうな感じがするが、うちは普通の一般家庭である。

その本家は伯母にとって、どういう見方をしてきたのだろうか。資産と呼べるものは田んぼと畑しかなく、田んぼは昭和62年頃に売却した。

畑のある土地は資産価値があるとは思えないし、何をもって「本家を頼れ」なのか。田んぼを売って得たお金は兄姉弟妹11人に分配され、一人当たり10万円くらいだったそうだが、これを不服とした叔父が父が着服したと騒いだ時期があったらしい。アホか、お前の兄妹何人いるよ伝説。

しかも田舎の田んぼだ、ほとんど利用価値はなく未だに荒れ地のまま放置されとるよ。

N家は本家だ。だが前ブログでも書いたように私達はNという名字を名乗ってるだけにすぎない。それはN家の血筋が絶えてしまい、そこへ祖父母が養子に入り、今の形があるのだ。血の繋がらない先祖代々の土地を借りながら生活しているわけである。

一昨年、大伯母が身罷り、その際の葬儀会場で父の従兄弟から、家系図的な話を聞いた。

大伯母はTのおばちゃんと呼ばれ、よく家に入り浸るほどの人だったが親族だけど、どこの誰?的に不明な人であった。昔から家にくるけど、誰かわからない人はいっぱいいた。それが「THE 本家あるある」

おばちゃんの息子さん達は、年齢が近いので、てっきり私の従兄弟なのかと思っていたら、父の従兄弟だという。

つまり、おばちゃんは祖父の妹だったのだ。20歳くらい違うって聞いた。

N家の長女がK家に嫁ぎ、祖父が産まれたと思っていたら、祖父の母はN家直系ではなく、後妻の連れ子だというから、これには複雑すぎて…頭がこんがらがったほどだ。

N家の直系は身体が弱かったらしい。連れ子だったがN家代表として、K家と婚姻したというが、曾祖母も早くに身罷ってしまいます。

曽祖父はまだ若かったので再婚をします。それがおばちゃんのお母様でした。姉妹弟の3人姉弟でしたが、確かこの頃樺太にいたらしくって、終戦後に命からがら逃げてきたって聞いたときにはびっくりしました。

その後、曽祖父はまだまだ元気だったので、さらに後妻を娶ったとか。パワフルな人ですね。

しかし最初、曽祖父もK家に養子に入った身でした。曾祖母と結婚したときはKを名乗っていましたが、その後何故か元の名字を名乗りだしたそうで、おばちゃんの旧姓がKTだったのは、その影響だそうな。

だから、Kだったり、KTだったり、どこの誰よって、こんがらがるくらいの家系図が出来上がったわけです。

まぁ昔は、女性一人では生きていけない時代だったから、後妻になって生きてきたのですが、この良い?一例があります。

別家のY家、伯母(長女)の嫁ぎ先です。ここには伯母と同年代くらいの女性がいました。私はてっきり親族の方なんだと思っていましたが、実は伯父のお父様の後妻だったということで、伯母にとっては姑。

すごく性格が悪く嫌われていましたが、お父様亡きあとも追い出されることもなく、一緒に暮らしてきたそうです。その方もいつの間にか亡くなっていて、いなくなったときに、実は誰だったの?と判明したんだけれど、後妻あるあるだったそうですよ。

 

なんか、亡くなってから「あの人は誰だったの?」と判明するパターンが多いけれど、同年代で小学生のときによく一緒につるんでいた少年少女が従兄弟ではなく、従兄弟の子供で、従姪だったというのが当時よくわからなくって。

本当の従兄姉は20歳くらい年上だったんだよね。当時、従姪から「本当は○○は私の伯母さんなんだよ」って意味わかんなくって、小学生でありながらオバサンになってしまってショック受けた記憶がある😂 

小学生の頃、時々夜に来訪するオジサンがいて、そのオジサンはしいたけをカゴいっぱいに持ってくるから「しいたけじいさん」って呼ばれていた。

お酒が入るとうるさくなるから、早く帰ってほしくて本当に苦手な人だったけど、いつの間にか来なくなって。母に聞いたら、K町からくる祖母の親戚の人だったらしくて。しいたけ栽培が趣味で時々持ってきてくれてたらしい。

私は「酔っ払って絡まれたことがあって以来、苦手だった」と言ったら、車で来てるからお酒を勧めたことはないと母。いやいやいや😂 お酒飲んでたの見たことあるよ。と言ったら、母が勧めたのはお茶だったが、もしかしたらその後、祖母が酒を飲ませたのかもしれないと判明した。

しかし、事故らなくて良かったけれど飲酒運転は絶対にダメです。

その祖母の実家もほとんど絶えたと聞く。5人姉弟の真ん中が祖母で、みんな嫁いだが祖母のように106歳まで生きた人はいなく、それぞれ子孫はいるけれど、全盛期ほどではないそうだ。没交渉の親族もいるし、もしかしたら、どこどこの誰それは親族かもしれないと探したときもあったらしいが、相手が名乗り出なければわからぬことよ。

ただ兄が消防士になったとき、見知らぬ男性が「私はあなたの親戚です」と声をかけてきたが、兄は両親から聞いてもいなかったので「あぁそうですか」としか反応できなかったと言います。まぁそうだよね。

一昨年の大叔母の葬儀の席でも、私と同級生が親戚だっていうのを知ったときは、ウホッ🦍て声出ちゃったよね。KT家は兄弟がたくさんいて、跡取りがいない家に養子に入るのが当たり前の時代だったから、曽祖父もそうしたらしいけれど、やっぱり自分も本家の人間だと名乗りたかったのかもね。

曽祖父の弟さんの子孫が今、母の友人にいて、ちなみに父の親戚でもあり、なかなか奥深いのであります。

石を投げれば親戚に当たる!(そもそも石を投げるなよ😂)と言ってた時期があるくらい。

でもN家の男子は5人中、3人は関東住みなので関東圏に「N家」を増やしてはいるけれど、意外と市内には親戚がいない。しかし、時々「○○のNさんて親戚?」って聞かれてしまい困るときもある。かつて働いていた病院で科長から「白糠出身?」と東通村の地区名を言われたことがあったが、確かに東通村に多い名字である。

父に聞いたら、N家先祖は東通村野牛地区出身らしい。江戸時代の終わりごろにむつ市に進出し、今の場所に家を構えたという。当時は資産家であったらしい。これは残された古文書から読み取ったそうだが、今はもうない。

N家に資産があったとして、養子に入った兄妹11人が食いつぶしたといっても過言ではない。伯母は何を持って「本家を頼れ」と言ったのか、伯母も後妻だったので何かあったら実家に帰りたかった、ただそれだけだったのかもしれない。

今、残された叔母がN家あるあるという、まったく血の繋がっていないN家を引き合いに出し、N家の嫁である母をないがしろにする伯母同様になってきた。

しかし、叔母が「N家あるある」を言うたびに婚家のY家をないがしろにしていることに気がつくのはいつになることやら。結婚して早30年、そろそろN家を卒業してください。