承認欲求

 

昔、母から

「迷惑をかけない人間になりなさい」とか他人へ迫害しない、良い子供でいなさいと言われ続けた。

私は自分自身が普通の人間だと思っていたら、そうではなかったようだ。

 

小学3年のとき、転校生が来て、今まで仲良くしていた同級生を奪っていったのを機に、なぜかいじめられ始める。

 

小学4年~6年までの担任教師から目をつけられていたらしい。それを当時、私は知らなかったのだが、

「〇〇ちゃん、おませで目立ちたがり屋で困っています」とか教師は母に言っていたそうだ。

実際のところ、同級生からは目の敵にされ、教室では一人ぼっち。目立つような行為をしたら、体育館の裏に呼び出されるわけで。

 

ませたガキ扱いされたの意味不明だけど、女子の友達いないから、男子の友達といただけで、放課後、野球部の球拾いとかしたり、一緒に帰っただけなんだけど、

M先生には「〇〇ちゃんはませたガキ」に見えたのかは知らんけど。

 

母曰く「M先生のお姉さんは良い先生なんだけどねぇ、実はM先生嫌いだったの」

M先生の姉は保育園の先生やってて、すごく優しくて良い先生だったんだけど、M先生はえこひいきする嫌な教師だったらしくて、母は面談が1番嫌だったと後から聞いた。

 

中学時代は紆余曲折あったけど、それなりに普通に生活してた。

相変わらず同級生から目の敵にされてはいたけど、「自分は空気」と思って生活してたよ。

 

高校時代も最初は良かったけど、3年のとき、また同級生からいじめを受けて、出席日数足りなくなるから、あんまり休むなって担任教師に言われたとき、虐められてるから教室にいたくないと相談したら

 

「いじめ?お前のその態度がダメなんじゃないか?」

 

(;゜∀゜)イヤイヤイヤイヤ...担任は信用ならんわ。

 

その後、頑張って学校行ってたら、担任教師に

「お前が虐められてたって言ってたけどな、あいつらに聞いたら、遊んでただけですよって言ってたぜ」

 

おいおいおい:(;゙゚ω゚):そんなの加害者側に聞くなよな。

 

その後、当たり前だけど、いじめが加速したの言うまでもない。

三学期は登校日が少なくて良かったけど、卒業式のとき、担任教師から「あと2日足りなかったら留年してた」と聞かされる。

 

それもこれもお前のせいでもあるんだよ、担任教師め。

 

あれ以来、高校時代の同窓会とか絶対行ってないし、行くつもりもない。

 

東京の専門学校、たった1年間。目立たないようにしてるのに、雑誌からインタビューを受ける。体験入学を経て専門学校に入学した人だからだそうだが、

 

そのせいでクラスメイトから目の敵にされる。さらに同じ寮に住んでた女子からも無視されるようになった。

 

二学期が始まったら、いじめがなくなったの、仲が良かった男性講師が学校を辞めてて、なぜか皆が同情して話しかけてくるようになった。

今まで仲違いしていたクラスメイトととも打ち解けて、無事に卒業。

 

2年目、大阪の製菓専門学校、こちらも1年間。目立たないようにしたいのに4月下旬、同級生から告白されて、いざ表舞台へ。

 

(;゜∀゜)イヤイヤイヤイヤ...止めてくれよ

私は勉強に来てるんだ…と断る。

 

1年目のとき、同じグループの女子が彼氏ができて、夜遊び激しくなって学校を辞めたから、高い授業料払ってるのにさ。

 

恋愛なんかしてる場合じゃない。ってかそのまえに好みじゃなかった(笑)

 

二学期に入ったら、グループ編成された。一緒にご飯を食べていた人がいきなり私をいじめ始めた。

 

お昼休み中、寝たフリしてたら、

「〇〇ってさー、八方美人だよね。色んな人にいい顔してさー、あたしそういう女嫌い」

 

(´º∀º`)ファーwwwお前そんなん思ってたのか

 

一緒にいる女子は大阪民とか兵庫民で、私に苦言したのは山梨民だったけど、大阪民は結構発言力ある女子だったから、

 

そっち側に行ったんやな~と思った(笑)

青森民よりはレベルが違いすぎるもんな。

 

あぁ、またいじめられんのかいな、私の人生って思ったら

大阪民女子「そんなこと言いなや、誰とでも仲良くなれるのは良いことやないかい」

 

って言ってくれて、懐の広さに涙が出そうになった。

 

さも、今起きましたよ風に立って、トイレに行ったら、神戸民女子とすれ違った。

 

神戸民女子「〇〇、あんたさっき起きてたやろ」(o´罒`o)

私「××さんが助け舟出してくれて、本当良かったわ…」

神戸民女子「あんたも大変やな、ああいう輩から目をつけられて」

 

その後、新潟民女子と仲良くなった。卒業後も連絡取り合うくらいだから、専門学校時代は人間関係が良かったようだ。

 

21歳から働き始めて、紆余曲折あったけど、いやありすぎた。普通に目立たないように生活してるはずなのに

当時の専務(今や会長)から「ミスおしまこに出場しなさい」って言われたり、

 

24歳のときは「国体に出たけど今はただの人」から目の敵にされ、虐められる。

 

結婚前提で交際し始めた男性と同棲したのはいいけれど、かごの鳥状態でモラハラとセクハラにあい、男性不信になってしまう。

 

人見知りで目立ちたがり屋でもないのに30歳でボランティア活動をし始めてしまう。

 

ボランティア団体で仲間ができて、やっとで自分の居場所を見つけた気がしたのに、安心したのもつかの間、団体が解散。

 

運良く今のイベント主催者に声をかけてもらって、以来13年間イベントの企画&制作に携わっている。

 

人見知りはボランティア活動で改善された。長年、他人からの迫害にあってきたので、自意識過剰になっていたのも解消。

 

意外と他人は自分のことに精一杯で、他人のことなんか見ていないっていうのを、30代半ばに知る。

 

それでも「自分が認められたいがあまり他人を蹴落としてでもやる」人はたくさんいる。

一緒にボランティア活動してきた仲間と思った人達がそうだったもの。

 

ボランティア活動中にアンチから言われた言葉がこちら

「このイベント△さんの主催でしょ?なんであなたが目立とうとするの?」

 

(;゜∀゜)イヤイヤイヤイヤ...主催はイベント会社ですよ。△さんはボランティアの1人です、と説明すると

 

アンチ「え?△さんは私のイベントだって言ってたし!」

 

(;゜∀゜)イヤイヤイヤイヤ...△さん、人に認められたくて平気で嘘つくの辞めなよ

 

私は基本裏方なので、目立とうと思ってはいません。

 

△さん、とにかく目立ちたくて、私が企画した案は自分が考えた、ダンボール工作は私が作らせたと周囲に言ってた。

 

だからアンチは、皆、私が△さんの仕事を奪って私が目立とうとしてると思ってる。

 

いや、だからね。目立ちたくてボランティアをやってるんじゃないのよ。

手伝ってほしいって言われるから、手伝ってるだけなんだよね。

 

イベントで知り合った同年代の女性から言われた

「イベントに参加すると〇〇さんがいるから、なんか安心したんだよ。ずっと友達になりたくて、声をかけたかった」

 

嬉しかった。20代まで「私は空気、透明人間」と思いながら暮らしてきた。30代になっても他人に迫害され続けてきて、THのトラウマからはまだ抜け出せてもいないけど。

 

彼女なら大丈夫と思った。大阪の専門学校で仲良くなった女性に似ていた

 

そういえば、彼女も同じようなことを言っていた

「一学期の頃から、ずっと友達になりたかったんだよ、〇〇は入学式からすごく目立っていた」と。

 

空気になれ空気になれと思いながら自分を消し、人に迷惑をかけないように生きてきたのに、知らず知らずに目立っていたとは…これ如何に。

 

誰かに認められたい承認欲求は特にない。

イベントは誰のためにあるものか。

 

主催している人?否、参加者が楽しむためのものである。故に私は裏方なのだ。

 

今日も誰かのために創作活動しているのである。

 

 

 

 

 

 

 

酒粕にハマってます

 

昔、日本酒の試飲イベントに酒粕を使ったおつまみを差し入れしたことがある。

 

日本酒フリークの友人から、日本酒を飲む人は酒粕が苦手な人が多いと聞いていた通り、おつまみはあまり人気がなかったが(苦笑)

 

その頃は私自身も酒粕が苦手だったけど、ある年、酒粕を使ったムースを作ってみたら、これが凄く美味しいレシピだった。

 

イベントに差し入れしたら、女性から人気はあったが、やはり男性からは不人気。かなり余ったのを覚えている。主催者側のGくんにおうちの人と食べてって渡した(という気配りという名のお節介)

 

酒粕はお菓子にすると美味いということに気が付き、色んなレシピを試した。

 

クッキー、クラッカー、パウンドケーキ。

 

特にクッキーはハマった。レシピを改造して、ハーブや黒胡椒をいれたおつまみタイプにしたのだ。

これがなかなか美味しくて、親戚にパンを送るときに一緒に入れてる。

 

親戚から「酒粕クッキーにハマった」と聞くと、(゚ー゚)(。_。)ウンウンそうでしょう、あれ美味しいもんね、と密かに( ̄▽ ̄)ニヤリしている。

 

ある日、ふと甘酒が飲みたくなったがすぐ飲めるのは、やはり酒粕を煮るタイプしかなかった。

 

酒粕のアルコール分をしっかり飛ばして…と作ったら、これが美味い。

 

昔、母が作った酒粕の甘酒は、酒粕が溶けきっていなくてゴトゴトした感じで不味かったのを思い出した。

しかも、鍋で煮るのが面倒くさくて、マグカップ酒粕と熱湯を入れて混ぜただけの代物だったのだ。

 

今日、出かけた影響で身体が冷えたらしい。お腹を壊した。

腸を暖めたいなぁと甘酒を作った。アルコールに弱いから、しっかりアルコールを飛ばしたつもりが換気してないから、かなり吸った。

 

生姜とシナモンを入れて飲んだ。甘酒は美味しかった。

 

昔、父がまだ現役だったころ、風邪の引き始めに卵酒を作って飲んでいたっけな~🙄

そうだ、酒粕ミルクセーキ作ったら美味いんでない?今度作ってみようと思い立ってから、まだ一回も作っていない。

 

こんなに酒粕が好きになるとは…

 

最近、高齢者が好きな食べ物を食べれるようになってきた。

にしんの切り込み(青森県ソウルフードらしい)とか、にしんの菜の花あえとか、

 

まぁ、にしんが好きなんだけど、にしんの切り込みなんか、若い子は絶対食べない、しかも青森県ソウルフードとか言われても知らねーよってなりそうな代物だけど、

 

アンチョビみたいにピザに乗せてもチーズとあうし、ご飯はもちろん、酒の肴にもいい。美味いんだ本当に。

 

こんな美味しいものがあったなんてー!って最近、やっとで食べれるようになってきたの年齢を重ねたのもあるけど。

 

今まで苦手だったものが食べれるようになると世界が変わるね。

 

埼玉に住む叔母さんが

酒粕苦手だったけど、このクッキー美味しいよ!もっと食べたいな💓」って言ってくれたとき、本当嬉しかったなー。

 

また作ろう。そして誰かにプレゼントして仲間を増やそう(笑)

 

 

模造紙

 

土曜日からまた寒波が来るというので、買い物に行ってきた。

 

25日~26日にかけて積もった雪がかなり歩きにくい状態。日中の気温もマイナスのためか雪がパウダー状。何回も足を取られて、腰痛が出始めてしまう。

 

道路はすべてアイスバーンだし、歩道もアイスバーン

寒さ対策してきたけど、まさか腰痛や骨盤周辺が痛くなるなんて予想してなかった。

 

模造紙が入荷されてるの発見して嬉しくて買ってきたのに、帰り道の悪路でもう上手く歩くことができなかった。

 

通常なら20分の距離を40分かかって帰ってきたらしい。帰ってこれただけで安心した。

 

来週末は通院だけど、あんまり冷え込まないで欲しいなぁ。

 

模造紙買ってきたから、また新たなポスターを描ける!やったー(*^^*)

 

ポスター描きが終わったら、今度は粘土造形する予定。

 

今年は、なかなか良い流れの創作活動してます。

最強寒波

 

最高気温がマイナス7度って、何(゚Д゚;)

雪かきしたら、ものの数分でつま先とか指先とか冷たくなって、10分といられなかった。

 

雪国育ちだけど、風が冷たすぎて死んだ。

 

思えば24日の夜から寒すぎた。

布団に入ったら寒くて身体中の関節がギシギシ痛んだ。ホッカイロが役に立った。

 

25日はストーブをつけている部屋にいても寒くて、右足の小指がつりそうになってた。

寒すぎたので部屋にこもって、ポスターをずっと描いてた。

おかげさまで巨大ポスターは残り2枚になった。最初25枚予定だったのが増減繰り返して、30枚になってしまった。

 

やっぱりストーブのおかげもあるよね。乾きが早いんだもん。

 

もう、あと2枚とか言ってるけど、模造紙があったらまた増えそうだ(苦笑)

 

今日の大雪は昼までという天気予報。

太平洋側で良かったな。

 

とはいえ、まだ降った雪を見ていない。

昨日は風雪だったので、通路とか狭い場所に降り積もる感じだった。

 

雪質はパウダー状、サラサラ。でもちょっと重い。

昨日の降雪予想だと下北半島は5~10cmだったけど、どうかな?2階から見た感じじゃわからん。まだ朝日も登っていないしなぁ🤔

 

今日の最高気温はマイナス3度。

昨日よりは4度上がるって予報。

さっきトイレに起きたら、廊下はあんまり冷え込んでいなかったような🙄

それとも昨日の続きだから寒さに慣れた?

 

大寒波だ、大雪だ、っていうと、必ず思い出す10年前の豪雪。

 

1晩で50cmくらい積もったのよね。しかも水を含んだ濡れ雪だったから重くて…

 

279号線の立ち往生。雪国でも立ち往生あるんだ😧ってくらい、豪雪に慣れていない下北民が打撃を受けた。

 

当時、病院の電話交換手してて、朝こっ早く病院に行ったら…というか、主要道路しか雪かきされておらず、まったく不通状態だったわけだ。

 

病院周辺の道路を男性職員が総動員で雪かきしてた。憧れの人も雪かきしてて、それ目に焼き付けたせいで今も忘れないんだろうな🤭

 

病院に「今日検査の予定だったけど、大雪で行けない」という電話がたくさん来たが、ほとんどの患者さんが

むつ市は雪降ってないでしょ」前提で

「こっちは雪がすごくて、道路が雪かきされていない!」と現状を訴えてきたが、そういう苦情は市役所にしてくれ😬

 

むつ市も雪がすごくて、主要道路以外は雪かきされていませんよ。というと軒並み

「嘘だぁ🤭」という声を上げたが、

 

大湊に住む知人はそれこそ脇道に住んでいたため、主要道路まで出れず、その日は仕事を休んだという。

主要道路まで50mくらいかな、1週間くらい除雪が入らなくてって言ってたけど、

近隣住民総出で雪かきしても良さそうなのに、まったく雪かきせずに文句ばかり言ってたな🙄

 

あれは2月上旬だった。

 

今日寒さが緩むらしいけど、また土日に寒波来るって。明日中に買い物済ませておかなくちゃ。

 

もう2月か、来週末は3ヶ月ぶりの通院だけど、薬の処方のみだから10時には終わるかな。

1晩で豪雪は止めてほしいと願いつつ、まだまだ冬は3月まで続くのだ。これからも戦々恐々の日々が続く。

 

冷え性には辛い時期なのである。

 

 

右往左往した挙句の…

 

週末に叔父の葬儀で埼玉県入りすることになった両親ですが、2泊3日の予定が1泊2日になりました。まさに弾丸ツアーです。

 

埼玉には16時に到着、次の日の16時には出発するという形になりました。

下北半島に着くのは、夜中の22時です。

 

大寒波の影響が残ってなければいいのですが、強風が吹いただけで大湊線運休しちゃうからなぁ。

 

そもそも2泊3日ってのも、1日目は埼玉に宿泊して、2日目は17時くらいの新幹線で帰ってきて、下北半島に到着するのが遅くなるのが嫌だっていう話から、

 

盛岡に住む伯母が

「じゃあ盛岡で1泊すればいいじゃないの。いつものホテルをおさえておくわ」なんて軽く言っちゃったんだけど、

 

蓋を開けてみたら、いつものホテルはもう口利き(満室でも泊まれる等)ができなくなってたって話だった。

 

伯父がホテルの会員だったらしいけど、もう退会してたらしい。伯父と伯母は情報を共有していないのだろうか。

 

盛岡でもホテルを探さなければならなくなって、もう面倒くさい。調べてみたら大湊線の終電、22時があるの。もうそれでいいから帰ってくるわね。と母。

 

あれ?夜中に帰ってくるのが嫌だから、盛岡に泊まる計画してたんじゃ…🤔

 

母が良いならいいけどもね。

 

母「今日久しぶりに熟睡できた~」って、

切符買うまで、ホテル予約完了するまで伯母からの電話やメールに振り回されていたからなぁ💦

 

母曰く「(冠婚葬祭時に)ネットを使わない高齢者だったら、どうすればいいんだろうね」って心配してた。

 

それはそれなりにネットを使える世代が代わりにやってくれるんじゃない?

宿泊するホテルとか、切符の手配とか、本当なら喪主が準備するんだって。

 

まぁ今回は叔父の不手際を叔母の弟さんがカバーしてくれているけど。

 

そもそも叔母が認知症を患っていたなんて、叔母側の親族しか知らなかったと思う。

まったく叔母が使い物にならないなんて思わなかったもの。酷い言い草だけどさ。

 

盛岡の伯母が

エンディングノートとかないのかしら?」って言ってたみたいだけど、

 

確かに叔父が癌になって数年間もの間、何をしていたのかも、母(姉)も知らない。

 

お金の管理は叔母がやってたみたいだけど、認知症だしな😧

叔父は亡くなる1ヶ月前に

「次、入院になったら、たぶん退院できない。あとのことはよろしく」とまで母に言ってたけど、

 

叔母が認知症だってことを一切言わなかったのは罪じゃない?

 

同じ地域に住んでいるなら、まだしも。

叔父は埼玉県だし、伯父は盛岡、母は下北半島。コロナ禍もあり、そうホイホイ行けるわけじゃない。

ちなみに叔母の弟さんは長野県。

 

まぁ長野県は埼玉県まで2時間で行けるっていうから、1番近いよね。

その近さが仇となって、叔父が亡くなってからの一切合切を引き受けることになったのだけども。

 

だから葬儀云々にかかった費用全額を伯父が出すって言ったとき、さすが兄だな~って感動した。

 

その伯父もとうとう引退したようだ。

事務所を義理の息子に明け渡し、新たな事務所を立ち上げ、息子を所長に任命したとか。

 

叔父を見送るために高齢者の両親と伯父夫妻、埼玉入りします。

滞在はわずか24時間だけども、無事に帰ってくることを願ってる。

 

 

 

 

 

頭痛が痛い

 

先日、叔父が亡くなった。叔母の弟さんが看取って、その後の葬儀の準備をしてくれているらしいのだが、

 

今、火葬場が混んでいるとかで、葬儀が遅くなり週末になってしまった。

 

そういえば昔、母方の祖父が亡くなったときも火葬場が混んでいて、1週間ほど盛岡に缶詰状態になった、あれも1月だったわ🙄

盛岡の伯父夫妻は仕事があるので長くても2日しか埼玉にいられないという。

 

全部決まったら埼玉に向かうということで手筈は整った!と思ったら、

 

葬儀場の家族控え室みたいな場所に宿泊するつもりでいたら、そんな場所はないという。

たった1泊だけだし、と軽く考えて埼玉県内のホテルを探したら…ほとんど満室って出たー( ̄□ ̄;)!!

 

と母に言われ、早速パソコンで調べてみたら、ほんとにシングルは全滅だった。

かろうじてツインが1室のみとかのホテルばかり。

 

え?なんかイベントあるん?平日なのに、満室になるなんて😧

 

伯父と伯母は一人部屋の方がいいと簡単に言うし、うちの親はツインでいい。ってまたまた簡単に言うしさ…疲れたぜ(;´ρ`)

 

ベッドがダブルだけど、シングルユースで使える部屋が残り5!ってのを見つけて飛びついた!

 

はぁ…予約完了したときには、燃え尽きてガックリ_| ̄|●

 

とりあえず泊まるところを確保できて良かったー。

 

昨年末、もう年内もたないと医者に言われてた叔父、なんとか危篤状態から回復して、退院を勧められていたらしいけど。

 

話の内容からすると、そのまま入院していてホスピスに行くか行かないかの話し合いになってから、また体調が悪くなって、そのまま亡くなったという。

 

まあ本人も先月の23日に母に電話してきたとき、

「体調悪いから検査して最悪入院になったら、もう退院できないから、たぶんこれが最後の会話になると思う。」って言ってたけど、

 

まさか23日の真夜中に救急搬送されるとは母も私もビックリして、

 

その後、叔母の弟さんから連絡きて、またまた色々な事実が判明して、年末年始はいつも以上にドタバタしていた気がする。

 

認知症を患っていた叔母、ついに叔父を看取ることができず…

 

なんかもう叔父の存在自体を忘れちゃったらしいよ…まぁ病気だし仕方ないけど、

 

母から聞いたけど、23日に救急車呼んだの、叔父自身だった。

叔母は駆けつけた救急隊員に

「家の中に知らない男がいて、その人が勝手に救急車呼んだ」って喚いてたらしいから、

 

認知症ってやべぇヾ(=д= ;)と思ったよね。

 

そこまで叔父の存在を忘れたかったのかな、叔母は。なんか切ないね。

 

まだらボケだと思っていたら、完全にボケているとはね…

 

喪主を誰にするかって話し合いしてるみたいだけど、叔母はあんなだしね…

葬儀代一切を出す伯父の名前にしたらいいんじゃない?苗字も同じだし、って

 

昨日の夕方、伯母から電話きて、長電話してたわ。

 

埼玉県のお葬式って、下北半島と違って、生仏でお通夜するんだって。

 

下北半島は納棺→火葬→通夜→告別式→納骨だけど、埼玉県は火葬せずにって初めて聞いたわ。まぁお国変わればって、色んなやり方あるわよね。

 

通夜に出て、埼玉県宿泊→告別式→納骨やったら、とっとと埼玉県を脱出、

盛岡に1泊して、ゆっくり過ごしてから帰宅する予定で2泊3日の弾丸葬儀ツアー

 

なんか…コロナ禍じゃなかったら、ゆっくりしてきて😊って言えるんだけどね。

 

大寒波来てるからなぁ…何事もなく、無事に済みますように。

 

 

プロポーズされた!

プロポーズされました!でも夢の中でした!(笑)(;´д`)トホホ…

 

たまたま遭遇した高校時代の同級生からいきなり告白されて「結婚してほしい」とプロポーズをされました。

 

実はずっと好きだったんだって、夢の中で言われて、嬉しかったけど混乱もしてて、思わず「罰ゲームじゃないよね?」と確認したりして、リアルすぎて現実かと思ったよね~🤭

 

プロポーズを受け入れて、48歳お互い初婚って笑いあって、とりあえず今すぐ結婚するわけじゃないけど、連絡先交換しようよ。ってスマホ取り出したら、

「うちの店のHPあるから、そこに連絡くれれば」とか無粋なことをいいだしたり、

さすがやっぱり48歳まで未婚貫いただけあるわ。と妙に感心してしまう。

 

お店のHPを見たら、漁業関係のお店だった。結婚したらお店を手伝うことになるのね。とか思ったけど、この歳になると両親の介護の方が付きまとってくるのよ、

 

とりあえず、お店行ってみたい!と懇願して、自分の仲間(見知らぬ女性達)と一緒にドライブがてら行ってみることに。

 

お店は国道沿いじゃなく高台にあって、港が見渡せた。家の裏には畑があって、藁焼きしてた。

「自然溢れる辺鄙な場所だけども、もし良かったらお嫁さんにきてください」

 

再度プロポーズされていると、同級生の母親がやってきた。自己紹介する私

 

母親「あぁあんたが〇〇がずっと憧れでらった女性?ほーん。」 

母親の視線が痛い。

 

ちょうど?凱旋帰省してる町の名士が来てるという、会ってみたら同級生の同級生。

 

東京の有名なお菓子屋でパティシエをしているという。自ら作成したパンフレットを見せながら、いかに自分は有名なお店で働いていたかを自慢し始めた。

 

同級生の同級生だから、大人しく話を聞いてやってるけど、東京の有名なお店ってオーボンヴュータンとかだったらわかるけど、聞いたことがない店だった。

 

「そういえば、あなたもお菓子を作るとか、〇〇に聞きましたよ」と言われる

 

私はただの趣味ですけど、一時期はパティシエに憧れて専門学校に通ったりしたんですけど、手荒れで挫折しました。と話す私。

 

男性「学校はどちらに行かれたんですか?」

「辻です。」

男性「辻( ºΔº ;)!」

そんなに驚くとは意外だな。

 

ちなみに夢の中で彼が作ったという東京の有名なお店のシュークリームを貰ったんだけど、ごく普通の柔らかいタイプのシュークリームだった。

 

辻で習ったシュークリームは牛乳仕立てでシュー皮はバリバリしてるんだけど、王道のフランスレシピの甘いカスタードクリームをがっつり入れると、すごく美味しいんですよね、今まで色んなシュークリームを食べてきたけど、辻のシュークリームが1番美味しいんです。と語りながら、夢から覚めた。

 

 

夢に出てきた同級生は、高校1年生のとき一目惚れして、2年と3年のときはクラスメイトになって、間近で拝めるようになったけど、彼は野球児で野球に青春燃やしてて、全然振り返ってもくれなかった。卒業5年後、バイト先の居酒屋で再会したとき、漁業関係の仕事をしていると話を聞いた。

 

基本プロポーズされる夢占いは

 

そうなんだよ~恋愛に関しては常に受け身体制です🤣

結婚願望あったころにお付き合いしていた人からモラハラ、セクハラをされて男性不信になってから、誰かを好きになっても信じきれなくて。

どこまで信用していいかわからなくなってしまい、結局片思いで終わるのを繰り返している。

 

今、好きな人はいない。長年憧れてる男性はいるけども。

 

そういえば高3の卒業間近2月、最後のバレンタインデーだから張り切ってザッハトルテ作って、手渡しできないから同級生んちに送ったんだけど。

翌日、なぜか学校に持ってきやがった。

 

彼を好きな、他の女子同級生から

「抜け駆けしない!って約束したでしょ!」って言われたけど、最後バレンタインデーくらいケーキ贈らせてよ

 

5年後に再会したとき、同級生の上司や同僚に「最後のバレンタインデー、手渡しできないから家に送ったら、翌日学校に持ってきちゃって、みんなにからかわれて、恥ずかしい思いをしたんです」と教えたら、

 

「凄いケーキが送られてきて、嬉しくてみんなに見せびらかしたかっただけだった。高校時代は野球に明け暮れて、恋愛なんて二の次だった。本当は好きって言われて嬉しかったんだけど、それを言うのが恥ずかしかったんだ」と彼の本音を聞けたのが良かったのかも。

 

23歳当時、彼氏がいたので同級生とはそれきり何にもなかったけど、こうして今もたまに夢に出てくるのは、「好きだったときの思い出」が見させる夢なのかもしれない。

 

目が覚めたとき、夢だったんだとわかってホッとしたのは言うまでもない。

夢の中でプロポーズを受けてしまったけど、今の生活をポンと軽く捨てれるの?

今までやってきたことがこれから何にもできなくなるんだよ?と自問してしまった。

 

年1回のイベントを開催する為に、イベントを成功させるために毎日何かしら工作したり、アイディア練ったりしてるのに、この今の生活を私は捨てることはできない!

 

結婚は生活がガラリと一変するものだからこそ、「夢で良かった!」と思ってしまったのだ。

 

あぁまた婚期が遠のく。いやもう婚期なんてないのかも。根気もないしな。

お互いの趣味には口出ししないタイプの結婚だったらしてもいいかな。そんな人はおらんだろうけどな。

 

プロポーズされる夢を見たけど、結婚願望はない。それが悲しき現実。